5576-002

5576-002

P/N : 94-X1110
Ec No. C81288

IBM鍵盤のサイトとして有名だったMiniLab!!というサイトにおいて最高評価を受けた名機です。多くの評者がいわゆる「メカニカル・キーボード」の最高峰と見なす傑作鍵盤です。下記のように,すでにキー配列が時代遅れとなっているにもかかわらず,A01と並びオークション取引の花形となっています。

2002年4月からのYahooオークションの利用料の値上げにより,2002年の2月から3月にかけて,本機のような有名機種の落札価格が急騰するという現象が起きました(Qwerters Clinicの2002年3月18日付けニュース参照)。状態が良いと,中古品でも2万円を越えるような値がつきました。ほんの一時的現象だと思いますので,1年くらいたって冷静になった後に,買った人が何を思うか心配です。

オークション理論では,「勝者の災い(winner’s curse)」と呼ばれる用語があります。これは手に入れた品物の実際の価値よりも高い値段をつけることで,結果的にオークション勝者の利得が負になることを指します。入札競争に勝っても実質的に損をした,という意味で「災い」なわけです。ここひと月くらいの002やA01はその典型ですね。

さて,そのオークションの活況に刺激されて,私も久しぶりに本頁を書き換えてみました。元はRICHOブランド品のみを掲載していたのですが,退蔵していたIBMオリジナル品の写真を繰り出すことにします。両者で型番の表記に違いははなく,S/N(シリアル番号)のみの違いになります。両者のロゴを比べてみると,IBMの方は長円部の長さが余ってしまっています。筐体を設計したのがどこのメーカーなのか私は良く知らないのですが,設計段階からIBMやRICHOなど複数の会社用の鍵盤として供給することが意図されていたのだと思います。この写真を見ると,RICHOの五文字の方が収まりがいいですね。

私の手元にあるIBMおよびRICHO製のいずれも,背面のラベルに青い丸がついています。日本IBMによれば,PS/55 モデル 5530-L0CおよびLXCに対する説明として,S/N(認識番号,serial number)が,「99-19323以前、およびS/N99-90000から90109まで」は使用できないとあります。青丸はこの範囲にはないことの証明だと思っていたのですが,003の項で書いたとおり,関係ないようです。

本機には,5576-001と同じアルプス板ばねスイッチが採用されています。板ばね機構については別項で詳しく述べました。独特のクリック感は,湾曲した薄い金属板がぺきぺきとなる時の音です。 打つたびにくきくきというかわいい音がします。座屈ばね方式(特に英語鍵盤)でやや耳障りなばねの反跳による残響音は原理的にありません。

板ばねを打ち抜くことになるせいだと思いますが,003やA01に比べて,キーを叩く感触がやわらかいです。また,キーの押し下げに要する力もかなり弱くてすみます。座屈ばね式に比べると,クリック感が穏やかで,ばねの復元力も弱めです。タイプライター文化のなかった日本では,叩くというより押すように鍵盤を触る人が多いので,日本人には好まれると思います。ゴムもののぐにゃぐにゃもそもそしたキーボードしか触れたことのない人には本機の打鍵感は感動的ではないでしょうか。「キーをうつのがうれしくなるキーボード」との評がありますが,同感です。ただ個人的には,この柔らかさがしばしばモソモソした感じに知覚されるので,「ばねが緩んだA01」の方が好みです。

本機の後,日本IBMは,アルプススイッチを搭載した鍵盤を民生用に採用することはありませんでした。これは,クロスライセンス契約によりIBMの座屈ばね機構を使うことができるブラザー工業を新たな協業先に選ぶことが,おそらくはコスト的に有利だと判断したためでしょう(座屈ばね機構をめぐる構造史を参照)。それにより名機A01が誕生することになります。

(上)5576-A01,(下)本機
(上)5576-A01,(下)本機

ちょっと持ってみただけで全体の質感の高さは明らかです。1391401などの英語鍵盤に比べ,筐体のはめあい精度が非常に高いのがわかります。いったん分解して筐体を組み立てると,パチン!と音を出してはまります。このあたりの仕上げ精度が,いかにも日本人の仕事です。

本機を触っていて,太平洋戦争中の日本の軍用機についての米軍の調査報告書を思い出しました*。大戦中に米軍は日本の軍需技術について詳細な報告書をまとめていました。航空機のエンジンについて見ると,鍛造や塗装など,熟練を要する部分での仕上げは極めて優秀であったようです。熟練工の技術に頼る生産手法は,逆に言えば量産性に劣る証でもあり,それは国力の差の反映でもありました。それでも,鉄鋼業の「て」の字もなかった時代からわずか数十年で,世界最高水準の熟練工を擁するに至ったこの日本人という人々は,自分たちの資質にそれなりの誇りを持っていいように思います。
* 胃袋豊彦,「『栄』エンジンに見る日米の技術格差」,歴史群像 太平洋戦史シリーズ33,学習研究社,2001年,所収。

本機は5576-A01が標準配列として天下統一を果たす以前の製品です。左Altがありません。右Altの位置には「前面キー」があります。上の写真のように,キーの前面には緑色で刻印があります。写真にはありませんが,SysReqも緑色になっています。この黒・緑の配色は1391401などの英語鍵盤でも見られます。非標準配列であるために,Windows 2000とMeではドライバ問題があります。こちらを参照の上がんばって使ってみてください。A01配列と英語鍵盤に慣れた私には,左Altがないのが致命的に使いにくいです。残念ながら常用機としては難しいものがあります。にも関わらずオークションで高値を保つというのは,アルプススイッチの名声を示して余りあります。

ケーブルは5576-001などと同様の着脱式です。英語鍵盤とはコネクタ形状が微妙に違い,共用できませんので注意してください。enhanced 101系統の鍵盤と異なり,スピーカが内部にちゃんと存在しているのが見えます。背面にはリュームも装備されています。ただこれらのスピーカーはIBMのPS/55でしか使えないようです。上の方に掲げた写真で示しましたが,PC本体の進化と共に,A01においてはこれら音響がらみの装備は廃止されました。写真から,ねじの数と,コネクタ部裏の突起にも微妙な違いがあることがわかります。

加藤剛規氏の研究により,本機の前期型と後期型には構造上の違いがあることが明らかにされています。上に触れた裏面ラベルに付された青丸の由来をこれに求める説が有力です。前期型はFCCの認証を受けていないそうです。本機は非常に高価なので,今となっては複数集めて分解できないのが残念です。

2001年8月現在,新品入手はほぼ不可能です。新品がオークションに出たら何万円になるかわかりません。2000年以降は,秋葉原のジャンク屋で出会う確率も極めて低いと思います。2001年夏の時点では,Yahoo Auctionsでの中古品の相場は1万円台前半から中盤といったところです。冒頭で触れましたが,2002年3月には2万円前後まで値が上がりました。 IBMの中古の大型機を中心に扱うエコシスという会社の販売リストに002の記載がありますが,2001年の7月に問い合わせたところ,当分入荷の予定はないそうです。

それにしても,なぜにこのような高値がつくのかある意味で不思議な気もします。鍵盤史上に輝く傑作機ではありますが,客観的に見れば完全に過去の遺物です。おそらく本機については,OSが更新されるたびにドライバ問題が深刻になるでしょう。XPでは完全にお手上げになるのではないかと想像します*。本機の購入者の多くはWindows98を使っているものと思われますが,Windows2000ないしNT 4.0にくらべて,Windows98の安定度は,比べ物にならないほど低いです。実際,私のWindows 2000機においてOS自体が落ちたことは,半年に1回あるかないかです。XPは2000の変種のようなものらしいので,これも(相対的に)すぐれたOSであることは確実でしょう。私としては,OSをダウングレードしてまでこの特殊な配列の鍵盤を使うつもりはありません。—それでも鍵盤趣味な私としては,HARDOFFあたりで500円とかで転がってたら,笑いをかみ殺しながらレジに急ぐことでしょう。

*阿部氏の調査によれば,Windows XPにおいても,Windows 2000と同様なレジストリ操作により,5576-001(したがっておそらく002も)使用できるそうです。氏のご教示に感謝いたします。