Sunday, December 8
Shadow

静電容量スイッチの内部構造

IBM PC/XTの鍵盤について(6)

すでに鍵盤構造史にも付記という形で書きましたが、PC/XT/AT鍵盤のスイッチは静電容量型が採用されています。私個人的には思ってもみなかった事実で、2002年最大の収穫だと個人的には思っています。最初にご指摘してくださった横田和隆氏、Qwerters Clinic 掲示板において貴重な情報を書き込んでくださったK-OCT氏、K.Tanaka//氏、keybow氏に謝意を表したいと思います。特にkeybow氏は、PC/AT鍵盤の分解写真を(おそらく日本で初めて)ご自身のサイトで公開されており、きわめて貴重な資料となっています。

ここでは、IBM PCの収集家として名高い横田和隆氏ご提供の資料を題材にして、PC/XT鍵盤の内部構造を紹介してみたいと思います。PC/ATと構造としては同じです。

静電容量型と、現代一般的な薄膜接点型との最大の違いは、極板同士に電流が流れるかどうかという点です。静電容量型では極板間に誘電体が挟まるため電流は流れませんが、薄膜接点型だと電流の導通がスイッチ動作を担います。現在のようなフィルム様に密閉された薄膜接点フィルムが出回るまでは、キーボードのスイッチはホコリに弱いというのが弱点で、電話のプッシュボタンを代表的な応用例として、この点を改善したと主張する特許が1960年代までに数多く見られます。ホコリへの耐性という点では、金属電極の直接接触を必要としない静電容量型のスイッチが有利です。静電容量式がIBM PC鍵盤に採用された理由はこれだと思います。しかし薄膜接点フィルムの発明後はこの弱点は克服され、IBM鍵盤から静電容量式は姿を消すことになります。

PC/XT鍵盤の電極。硬い樹脂基板上に形成されている。(横田和隆氏提供)
PC/XT鍵盤の電極。硬い樹脂基板上に形成されている。(横田和隆氏提供)

静電容量型のスイッチ自体がいつ提案されたものかは定かではありません。静電容量の変化を電圧の変化と読み替え、それをスイッチに利用するというのは、電気工学的にはきわめて素朴な発想であり、これ自体を特許とするのは難しいと思われます。座屈ばね機構の基本特許US Patent, 4,118,611にも公知の事実として静電容量式スイッチが説明されています。

↑PC/XT鍵盤の金属製基板。すでに湾曲構造が取り入れられている(横田和隆氏提供)

 

PC/XT鍵盤における電極の接触(横田和隆氏提供)

上に示した2枚の写真からわかる通り、PC/XT鍵盤は、例によって金属製の重厚な湾曲基板を背骨にして、その上に樹脂製のパネルが固定され、そしてそのパネルの上にプリント配線が形成されています。キースイッチにつけられた極板は横田氏によれば電気伝導性のないプラスチック製で、下の写真のように、ちょうど2枚の金属部を覆うようなサイズに作られています。

このあたりの構造は、K.Tanaka//氏が詳細に解説されたKeyTronic社製静電容量型スイッチの構造と同様であり、詳しい図解はそちらに譲ります。念のため等価なコンデンサを図示しておけば下の通りです。帯電した金属(metal)極板の作る電場が誘電体(dielectric)を分極させているという絵です。なお、実際には等価コンデンサーの誘電体の厚みにはある係数がかかります。

PC/XT鍵盤の静電容量型スイッチと等価コンデンサ
PC/XT鍵盤の静電容量型スイッチと等価コンデンサ

PC/XT鍵盤のスイッチは、現特許の構造そのままに、キートップと、鞘、ばねのついたプラスチック板、というわずか3点からなります。鍵盤構造史でも紹介したとおり、それまでのスイッチは比較的複雑な構造をしていましたら、いかにこのスイッチがうまくできているかがわかります。

スイッチはわずか3点からなる=横田和隆氏提供。
スイッチはわずか3点からなる=横田和隆氏提供。
座屈ばね機構の基本特許(US Patent, 4,118,611)の図。
座屈ばね機構の基本特許(US Patent, 4,118,611)の図。

鍵盤構造史でも書きましたが、座屈ばね機構の原特許には、さりげなく静電容量式のスイッチである旨説明があります。再び引用しておきましょう。

The contacts 5A through 5C in the preferred embodiment constitute plates in a capacitive switching system and it will be understood that the contacts will be covered by a thin layer of dielectric material to create a capacitive action when actuator 4 is in close proximity to any two of the plates 5A thorough 5C.
(US Patent, 4,118,611)

好ましい実施例においては、5Aから5Cまでの部材は、容量性スイッチの極板を構成しており、これら極板は薄い誘電体皮膜に覆われているものと想定される。5Aから5Cまでの極板のいずれか二つに可動部4が近接した時点で、容量性のスイッチング動作が行われる。

この説明を読んで改めて写真を眺めると、PC/XT鍵盤はこの特許に忠実な構造になっていることがよくわかります。キーボードにおける静電容量スイッチについての解説は、上記Qwerters Clinicの他、東プレのサイトも詳しいです。現在のところ、静電容量式スイッチを使った鍵盤でもっとも有名なものが東プレのReal Force 106です。英語配列で10キーのない機種が出たら私も買いたいと思います。

PC/XT鍵盤の鋼鉄製基板をはがしたところ(横田和隆氏提供)
PC/XT鍵盤の鋼鉄製基板をはがしたところ(横田和隆氏提供)

鋼鉄製の基板をはがすと、上のように、プラスチック製の板が露出しているのが見えます(左半分は部材を鞘から取り外しています)。同様の写真が The PC Guide に掲載されていますが、この写真はまるでプラスチック板が金属板のように見え、また、作者のCharles M.Kozierok氏自身、この鍵盤のスイッチが単なるelectrical connection によるものであるかのような説明をしているため、私も長い間これを静電容量式スイッチだとは思ってもみなかったのでした。特許には明確にcapacitiveと書いてあり、私も何度かそれを見たはずなのですが、偏見が真実の目を曇らせるということは本当にあるものだと実感しました。

(2002/12/28記)