Sunday, October 6
Shadow

発明 TrackPoint

後藤新弥は以前、「ThinkPadのような携帯が欲しい」と書いたことがある。昨今の携帯電話は女子高生か、せいぜいOLを主な対象にした軽々しい意匠で、中年男性には似合わない、似合うのはThinkPadのような質実剛健なデザインだ、との主旨である。

IBMがThinkPadという商標を用いて以来、その基本デザインはほとんど変わっていない。漆黒にIBMのロゴ。トラックポイントの赤。それだけである。その頑固さはしばしば批判と嘲笑の元になったが、こうしてある程度ラップトップPCが世間に根付いてみれば、ある種の見識をそこに感じないわけにはいかない。チャンドラIIという愛称で呼ばれるThinkPad 235の例は教訓的かもしれない。この機種はオリジナルの発売元からのOEM供給を受け、日立をはじめいくつかのベンダーから発売された。しかしIBM以外の機種を今眺めてみると、ずいぶん古く、安っぽい印象がある。質感を保っているのはIBM製だけである。自動車やカメラと同様、変わらないことによる強さというものは確かにある。その変わらないThinkPadデザインの中核をなすのが、赤いトラックポイントである。

トラックポイントとクリックボタン
トラックポイントとクリックボタン

いずれTransNoteについての論考で触れるつもりであるが、PCないし携帯情報端末における望ましい入力方式が何かという問題はきわめて難しい。しかし少なくとも、キーボード入力がペンと同等以上の効率を持っていることは確実なようである。この事実を足がかりにすれば、望ましい矢印装置(pointing devices)とは、キーボードとの融和性がより高いものである、との暫定的命題を導けそうである。

トラックポイントは現在のところ、その命題の具現として最善のものと言える。トラックポイントは、ThinkPadがThinkPadとして発表された最初のマシン・ThinkPad 700 Cに搭載されて以来(1992年10月発表)、意匠としてはもちろん機能面でもThinkPadの象徴となっている。IBM総合フェア98の資料によれば,トラックポイントはIBMのテッド・セルカーにより発明されたという。2002年現在MITのメディアラボに籍を置いているようだが、かつてはIBMアルマデン研究所の人間工学を研究する部門のボスで、IBMフェローという称号を持っていた由である。

テッド・セルカーはどうやら相当に変わった人間らしく、日本IBMのページにはThinkPadを持ってエベレスト登山を敢行したとの記述がある。絶対的意思の人なのであろう。確かに、まだ誰も見たことのないトラックポイントという装置の模型を持って、ThinkPadを開発する異国のIBM大和事業所に売り込みに行ったエネルギーは尋常ならざるものがあったろう。バタフライキーボードもそうであるが、世界初の冒険に対する畏敬の念が社内にない限り、このような珍品が製品化されることは難しい。もしIBM社内に、開拓者精神に対する敬意が伝統的に存在するとすれば、それは大したものである。

セルカーとラトレッジによるトラックポイントの最初の特許( "Analogue input device located in the primary area of a keyboard", E. J. Selker et al., US Patent, 5,521,596, filed in 1990, issued in 1996.)
セルカーとラトレッジによるトラックポイントの最初の特許( “Analogue input device located in the primary area of a keyboard”, E. J. Selker et al., US Patent, 5,521,596, filed in 1990, issued in 1996.)

晴撮雨鍵というページに、トラックポイントが製品化される過程を記した文章がある(Vol.475,476,477)。セルカーは苦労したらしい。確かにトラックポイントの搭載は、鍵盤に一種の「外科手術」を施すことだ。セルカーがトラックポイントの構想を温めていた当時、IBMにはまだ鍵盤専門の開発製造部隊があった。セレクトリック・タイプライターを経て、座屈ばね鍵盤において不動の名声を勝ち取った部隊である。彼らにとってしてみれば、まるで漆塗りの椀に赤マジックで色を塗るかのような無礼さを感じたことだろう。結局トラックポイントは、一旦はお蔵入りとなった。

しかしセルカーらの発明は、Jim Cannavinoという重役に価値を見出されたことで復活する。当初、ThinkPad 700 Cにはトラックボールが搭載されることになっていた。日本の大和事業所の技術者たちの決定である。開発の責任者であった池田敏幸はこう回想している。

最初トラックポイントのプロトタイプを見せられた時、トラックボールとはずいぶん違うものだと思った。そのような新しいアイディアに当初私は乗り気ではなかったが、製品の評価に当たっていた部下から、トラックボールはアップルに採用されることを聞かされた。差別化が必要だった。私は決断した。
I saw the first prototype of the TrackPoint, and it was not the equal of the trackball,” recalls Ikeda, currently the director of OEM System Development for IBM. “I was reluctant to support a brand-new idea. But then a tester commented that the trackball is used by Apple, and it reminded the tester of our competitor’s computers. Then I knew I had to do something different, so I made the decision.

トラックボールからトラックポイントへ。ノートPCにおいてはこの設計変更は小さいものではない。セルカーは日本滞在中、日曜大工用品店を走り回って材料を確保したという。渋谷の東急ハンズにでも行ったのだろうか**。かくしてセルカーらは、日本人技術者との協力の下、トラックポイントを何とか実用レベルに持っていったのである。

クリックボタンについての改良 ("Pointing device for retrofitting onto the keyboard of an existing computer system", J. D. Rutledge et al., US Patent, 5,579,033, filed in 1992, issued in 1996.)
クリックボタンについての改良 (”Pointing device for retrofitting onto the keyboard of an existing computer system”, J. D. Rutledge et al., US Patent, 5,579,033, filed in 1992, issued in 1996.)

セルカーの書いた特許から、トラックポイントの誕生の瞬間を跡付けてみよう。 1990年11月29日にセルカー(Edwin J. Selkar)とラトレッジ(Joseph D. Rutledge)により出された「Analogue input device located in the primary area of a keyboard」が特許としては最初のものと思われる(米国特許番号5,521,596)。成立した特許はレックスマーク社のものとなっているようだが、当初はIBMから出願されたものと思われる。「primary area of a keyboard」すなわちキーボードの一等地、という表現からわかるとおり、最初からタイピング時と矢印装置操作時で指の移動を最小限にとどめようという発想で書かれた特許である。

この特許は1990年に出されたが、特許本文には1980年代の状況が反映していて興味深い。まずセルカーとラトレッジは、マウス操作においては手の移動が操作効率を落としていることを批判する。次いで、文字キーと矢印キーの共用方式は、キーの定義を暗記しないといけない点で利用者に敷居が高いと言う。確かに私もviやemacsをはじめて使った時、これほどイライラするものはないと思ったものだ。思えば元祖のIBM PC鍵盤には、独立した矢印キーは存在しなかった。CtrlとAの関係といい、私にはこれらのエディタは1980年代の旧弊の遺産という感が強い。

センサー部についての改良 (”Force sensitive transducer for use in a computer keyboard”, M. F. Cali et al., US Patent, 5,489,900, filed in 1994, issued in 1996.)
センサー部についての改良 (”Force sensitive transducer for use in a computer keyboard”, M. F. Cali et al., US Patent, 5,489,900, filed in 1994, issued in 1996.)

彼らの制御装置には明確なモチーフがあった。飛行機の操縦桿である。要旨部分にはこうある。「センサー装置がキーの間に配置される場合、カーソル制御装置としては飛行機の操縦桿のようなものが用いられる(If, on the other hand, the sensor device is plaved in between two keys, a joystick is used as a manual cursor controller.)」。テレビゲーム全盛の現代ではjoystickと言えばゲーム機を操作する装置のことであるが、彼らのイメージはあくまで飛行機である。確かに彼らの特許の代表図を見ると、トラックポイントの「ポイント」という言葉よりも、スティックという言葉が似合っている。図には描かれてはいないが、「操縦桿は、飛行機で見られるように、親指で操作する2つのキーの間に配置されてもよい。(The joystick may also be located between two thumb-activated keys on a keyboaed commonly used in airplanes.)」という表現もある。後のクリックボタンの萌芽である。飛行機という言葉が直接現れていることにも注目されたい。

この二つの親指操作ボタンは、ラトレッジがセルカーと共著で1992年に提出した特許に現れる(米国特許番号5,579,033)。図に示すように構造においてほとんど現代のトラックポイントと変わりはない。その後も改良は続き、たとえば1994年にはひずみセンサーの改良を意図して「Force sensitive transducer for use in a computer keyboard」なる特許が、Matthew F. Cali, Jerome J. Cuomo, Donardo J. Mikalsen, そしてラトレッジとセルカーという5名により提出されている。ここにおいてトラックポイントはほぼ完成を見たと言ってよいだろう。

(左)旧式の赤色ゴム製キャップ、 (中)旧式の黒色ゴム製キャップ、 (右)現在使われているキャップ
(左)旧式の赤色ゴム製キャップ、 (中)旧式の黒色ゴム製キャップ、 (右)現在使われているキャップ

セルカーとラトレッジの1990年の特許ほど劇的なものはないにせよ、ThinkPadの開発が日本で行われたことに対応して、日本人技術者の活躍も見逃せない。放熱や省電力技術の多くは日本人の寄与であろう。箱の内部に隠れたそのような技術は別にして、素人目に見てその中で出色のものが、トラックポイントのキャップについての発明である。1990年代の半ばまで,トラックポイントには、表面がすべすべしたゴム製のキャップがつけられていた。上に写真を示す。デスクトップ用の鍵盤でいえば92G7461,1379590,5576-C01などがその例である。このキャップは使い込むと脂がしみこんで滑りやすいという欠点があった。この点を改良する特許が、1994年に提出されている(US Patent 5,798,754、日本国特許 特開平8-115160)。セルカーと,当時IBM大和事業所の技術者であった関一典、鈴木道生、米持健信、以上4名の共同発明である。下に特許の代表図を示す。普段何気なく触っているこのキャップであるが,その表面加工はなかなか巧妙である。特許の記述によれば,まずゴムキャップ上に短いファイバを静電塗装し、それをシラン接着剤で被覆する、とある。ファイバを帯電させて、ツンツンに立たせたところを固めるのだろう。ちなみにこのキャップ、IBMのネット通販で容易に手に入る。3個で280円である。私などは買いだめをして、汚れ次第情け容赦なく取り替えている。

トラックポイントのキャップに関する改良( "Grip Cap for Computer Control Stick", US Patent, 5,798,754, filed in 1994, issued in 1998.)
トラックポイントのキャップに関する改良( “Grip Cap for Computer Control Stick”, US Patent, 5,798,754, filed in 1994, issued in 1998.)

ジョイスティック一体型のキーボード。セルカーとラトレッジの発明は、言ってしまえばそれだけである。センサーとして使われるひずみゲージ自身も、別にセルカーらの発明ではない。しかし誤解してはいけない。ジョイスティックとキーボードを、セルカーのような仕方で出会わせることを考えた人間は、それまで世界に誰もいなかったのだ。人間の独創性とはそのようなものだ。未知の材料から未知の何かを作り上げられるほど人間の頭脳は強靭ではない。詩人は既知の言葉を重ね合わせることで詩という作品を創る。既存の材料から新たな出会いを演出したセルカーとラトリジの発明は、私にはほとんど詩的に映る。科学者の独創性というのは、本質的に芸術的なのである。

 

** 2018/07 付記。セルカーは日本滞在中に本当に東急ハンズに行ったらしい。著名なインターフェイス研究者 Bill Buxton のページにセルカー自身の回想がある。