入力装置をどうするかは、ノートPCを含む携帯用情報端末にまつわる運命的な問題である。音声入力について安直に語られることが多いが、決して音声入力は個人用端末の支配的な入力方式にはなれないと思う。自分で考えているほどわれわれは雄弁ではない。情報端末を情報管理の用途に使うのは、他人に問い合わせたりといった対人コミュニケーションの手間を省くというのが主な目的のひとつであり、そのために音声をわざわざ使っては元も子もないのである。
鉛筆とキーボードの間のギャップもよく言われることだが、思えばわれわれは生まれたときから鉛筆を使えたわけではない。長い間訓練したから使えるようになったのである。鉛筆がキーボードよりも人間的であるという保障は全然なく、また逆も言える。キーボード入力には、特に日本語の変換方法に関して大いに研究の余地があるが、少なくともキートップとして指先の大きさと同程度が確保できれば、「悪くない」入力方法であることは確実である。
個人向けのPCとしては、ほとんどThinkPadに集中したかのように思えるIBMだが、つい数年前まではこのような野心的な製品を出していた。今昔の感がある。TransNoteの公式紹介文にはこうある。
情報をデジタル化して、効率よく保存/編集する”パソコン”と、私たちが長い間慣れ親しんできた”手書きのノート”という記録方式。その2つを融合させ、IBM が生み出した、新しいデジタル製品。それが、ThinkPad TransNote 。デジタルとアナログの機能と使いやすさ、そのいずれをも損なうことのない、さまざまなテクノロジーを搭載。もちろん、”ノートPC “としての機能も、既存のThinkPad に引けを取らない、優れた高性能を実現しています。コンパクトなボディーに、かつてない便利さと可能性を凝縮したThinkPad TransNote 。まったく新しいコンピューティング・スタイルの誕生です。
(http://www.ibm.com/jp/pc/thinkpad/tptn15/tptn15i.html)
おそらく価格競争が厳しいだろうPC市場で、しかもIBMのような巨大企業で、このような野心的な製品が発売されたこと自体ひとつの驚異である。
このTransNote、予想されることではあるが、製品としては全く成功しなかった。2001年に発売され、確かその年の年末には、定価のほぼ半額、10万円程度で投売りされていた。この素早さから見ると、あるいは一般消費者向けのPCビジネス自体に早々に見切りをつけていたのかもしれない。
マイクロソフト社はTransNoteのようなペン入力を合体させたノート型PCをタブレットPCと呼んでいる。巨人マイクロソフトの大々的な宣伝にもかかわらず、タブレットPCは売れていない。2003/07/31付けのCNETの記事によれば、
ノートPCの総売上高の1%に過ぎず、昨年(2002年)11月にこのカテゴリができて以来、10万台しか出荷されていない。
とある。TransNoteの販売中止も、IBMという会社の方針とは別次元で、既定の方向であったように思える。
キーボード自体は特に論評に値するようなものではない。T30同様のパンタグラフ機構となっているが、打鍵感はs30によく似ている。基盤の軟弱さが印象的である。キー自体が小さいこともあり、打ちやすいとはとても言えない。
価格が下がったことを見て私は、本機を買うことを一時期検討していた。しかし本機を借用して実際に触れて見ると、まずはその巨大さに閉口した。上の写真のように、机に広げると新聞一面分にさえ匹敵する。筐体の重さは2.5kg。片手で持ってペンで絵を書くには重過ぎる。悪いことにバッテリはカタログスペックでさえわずか2.5時間しか持たない。ペン書きのイラストを頻繁に必要とするような特殊な職場にいるような人を除き、実用には苦しいと思われた。
今や、PCの入力方式についての延々と続いた戦いは、ほぼ決着がつきつつあるように思う。冒頭に書いたように、ペン入力がより人間的だという考えはおそらく幻想に過ぎない。話はむしろ逆で、人間にとって製作が容易だった筆記用具の形態が、入力方式を規定していたのである。今やPCの入力方式はキーボードの天下である。しかしこれもタイプライターという、PC発明以前から存在していた入力方式を引きずっている。その意味で、キーボードが最善の入力方式であるという保証はない。何十年か後、全く新しい入力方式が世界制覇する可能性も大いにある。しかしそれが何なのかは今は誰にも分からない。
(2004/06/26記)