IBM PC/XTの鍵盤について(4)
引き続き、横田和隆氏の示唆に従い発表レターを読んでいきます。この中で鍵盤趣味者的にもっとも興味深いのは、1986年4月2日に出された二つのレターです。ひとつは186-051「IBM PERSONAL COMPUTER XT (TM) 5160 MODELS 267, 268, 277, 278, 088 AND 089」です。表からわかりますとおり、これは、PC/XTについて101鍵盤がはじめて添付されたモデルについて記述しています。先に指摘したように、267, 277 と088は83keyモデルです。enhanced101鍵盤の母にあたるのは、IBM PC/XT 5160-268, -278, -089という3つの機種です。
もうひとつの重要レターが186-052「IBM PERSONAL COMPUTER AT (R) 5170 MODELS 319 AND 339」です。これはPC/ATに101鍵盤が初めて添付されたモデルについての説明です。先に指摘したように、モデル319には古い84key鍵盤が添付され、PC/AT 5170-339には現代の(LEDつき)101鍵盤が添付されていました。上記のXTの3機種とならび、これは101鍵盤の父とでも言うべきでしょう。
これらの二つのレターは、1986年4月2日に同時に出されています。従来、IBM101鍵盤の誕生時期、および添付されたPCについてははっきりしたことは(少なくとも日本では)知られていなかったのですが、上記のように、XTおよびATに対し、同時に発表が行われていることがわかります。この事実は横田和隆氏の指摘で初めて明らかになったものです。新型鍵盤のデビューということで、これらのレターには当然のことながら鍵盤について詳しい説明があり、全文引用したいくらいのものです。ぜひ原文(IBMのAnnouncement Letters)に目を通されることを勧めます。
鍵盤に対する両レターの記述は大部分共通です。いずれもHilightsのところでこの新型鍵盤について簡潔にまとめた説明があります。XTについての記述は下記の通りです。
- 101-key keyboard (101キー)
- Recappable(キートップ取り外し式)
- Selectric (R) typing section (IBMタイプライター配列)
- Dedicated numeric pad(専用の数値キー)
- Dedicated cursor and screen controls(専用のカーソルキー)
- Two additional function keys(従来の10個から12個にカーソルキーが増えた)
- Nine foot cable(9フィートのケーブル)
このうち、3番目にある「Selectric (R) typing section 」は補足が必要かもしれません。IBMは1960年代以来、セレクトリック・タイプライターというタイプライターで欧米では大変有名でした。前稿で述べましたように、IBM PCの発表レターでは、タイプライターを強く意識して鍵盤周りの説明がなされています。ここで言っているのは、IBMのセレクトリックタイプライターの配列と同じ配列を採用した、ということです。タイプライター文化のある米国で、タイプライターの名門メーカーであったIBMとしては、当然の判断ではないでしょうか。何しろ、PCが「タイプライター+電卓+(その他)」であった時代の産物です。
と、書くと当たり前の話のようですが、実はもっと事は重大なのです。PC/AT鍵盤までは、CtrlキーはAの左にありました。これはPCの、PCらしい機能を使う上では合理的な配置なのですが、タイプライターに慣れた庶民には必ずしも評判のいいものではありませんでした。そのためIBMは101鍵盤の発表時に、自社のタイプライターと同様な配列に変更します。ここにおいて、いまだに一部で非常に評判の悪い、「Aの左にCapsLockがくる配列」が確立したわけです。私もmuleを一時期常用していましたから、苦情を言いたくなる気持ちはわかります。しかし上記のような事情を鑑みれば仕方のないことです。世界中の人すべてがプログラマーというわけではありません。大人の対応で許してあげましょう。
ATの方の101鍵盤では、XTの全特徴に加えて、Indicator lightsが存在することが言われています。XTの方には言及がありません。これは逆に言うと、LEDのない101鍵盤の存在を示唆するものです。実際、IBM Canadaのサイトには、1390120もしくは同等品が付された写真があります。このあたりの事情は1390120の項に詳しく書きましたのでそちらをご覧ください。
そのLEDなしの101鍵盤の説明として、XTの方の発表レター186-051の方には鍵盤の寸法が記述されています。先に示したIBM PC鍵盤と比較して表にまとめましょう。
key Length Depth Height Weight IBM PC鍵盤 83 20 inch
500 mm8 inch
200 mm2.5 inch
57 mm6 lbs.
2.8 kgenhanced 101 101 19.37 inch
492 mm8.27 inch
210 mm2.28 inch
58 mm5 lbs.
2.25 kg
さすがにオリジナルよりは軽くなったのですが、それでも2.25kg。現代のノートパソコン1台と同等の重さです。外形寸法の方は元のIBM PC鍵盤とあまり違いません。現代的感覚からすれば、巨大の一言です。さすがのアメリカ人も同感だったと見えて、その後、PS/2ではSpace Saver keyboardが添付されることもありました。1987年8月には早くもそのようなモデルが発表されています。
そのほかの特徴としてはまず、キートップが着脱式になったことでしょうか。これについては大変興味深い話がありますが、別項に譲ります。鍵盤に関しての記述をよく読むと、「The typing section and numeric pad have home row identifiers for the touch typist.」という文章があることがわかります。これはPC/AT鍵盤までなかった、キーの上の突起を示しています。101鍵盤ではJとF、それに5の上に突起があり、タッチタイピング(和製英語で言うブラインドタッチ)をする上で目印となっています。「9-foot cable」という長大なケーブルを採用したこともそうですし(9フィート=約2.7m)、タイプライター配列にしたこと、あるいは独立したカーソルキーを作ったことなど、それなりに庶民の使い手のことを考えた変更であったことがわかります。
発表レター186-051から価格表を抜き出してまとめます。本体と鍵盤はセット販売されていたようで、下記のような一覧が示されています。興味深いのは、古い83key鍵盤を添付したモデル(たとえば267)と、新しい101鍵盤を添付したモデル(たとえば268)には価格差がないことです。ということは、鍵盤には商品差別化の力が弱いと考えられていたことを意味します。どっちでも選んでよいですよ、という扱いです。あれだけ豪快な鍵盤なのですが、単なるPCの添え物くらいにしか考えられていなかったということなのかもしれません。その後の低品質化の歴史は、こういうところから実は始まっているのかもしれません。
MACHINEDESCRIPTION MODELTYPE PURCHASEPRICE System Unit/Enhanced Keyboard 5160-268 $2145.00 System Unit/Enhanced Keyboard 5160-278 2295.00 System Unit/Enhanced Keyboard 5160-089 2895.00 System Unit/PC/XT Keyboard 5160-267 $2145.00 System Unit/PC/XT Keyboard 5160-277 2295.00 System Unit/PC/XT Keyboard 5160-088 2895.00
最後に、発表レター186-052には、下記のようにAltGrなるキーの説明が出てきます。
An alternate graphic (AltGr) key on the right side of the space bar provides the ability to assign additional graphic characters to the keys.
(スペースバーの右にあるAltGrキーを使うと、普通のアルファベット以外の絵文字を入力することができます。)
英語101キーボードにはそのようなキーは見当たらないので私は当初意味がよくわからなかったのですが、横田和隆氏によれば、これは非英語圏で、特殊文字(たとえばドイツ語のウムラウトつきaなど)の入力に使われるキーだそうです。ShopUのサイトに例があります。私は右Altキーをほとんど使わないので想像の埒外だったのですが、非英語・アルファベット圏の多くは、右AltがAltGrキーになっていて、それを押しながら特殊な「絵文字」を入力するのですね。
最近は全然見なくなりましたが、つい5年位前までは文字化けしたメールが送られてくることは日常茶飯事でした。ちょっと前までの電子メール教則本には、「Subjectには全角文字は使わないこと」などと真面目に書いてあったものです。思えば英語は、その文字数の少なさにおいて、コンピュータ化に非常に有利な言語であったと考えざるを得ません。もしアメリカ以外でPCが興ったら、などと想像してみるのは楽しいことです。
(2002/08/20記)