IBM PC/XTの鍵盤について(5)
2002年5月17日付けの私信で、横田和隆氏は初期のIBM鍵盤についてきわめて興味深い指摘をされています。ご本人のご了承を得た上でそのまま引用します。
私が特に面白いと思ったのは,XT83キー・キーボードやAT84キー・キーボードではキー部品自体は「足」の部分と上部が一体になっていたのに,101キー・キーボードになるとキーキャップが外れる構造になった理由と思われることが書かれていたことです。
この文書には,キーボードのオプション部品として「透明」のキーキャップを発売することが述べられており,透明キーキャップと土台の間に紙を挟むことでカスタマイズが可能である,と謳われています。実用上はこのような仕掛けはファンクション・キー以外にはほとんど必要ないように思えますが,製品の付加価値という面で面白いと思いました。
このキーキャップについて記述しているのが先述の発表レター186-051および186-052です。
座屈ばね式のIBM鍵盤はたいてい、指に触れる部分がいわば「帽子」として着脱できる構造になっています。新しいものですと、42H1292がそうでした。しかし一方IBM PC鍵盤やPC/AT鍵盤、あるいは後の52G9658などではキートップは固定式となっています。このような違いがなぜ現れたかを知る上で、最初にどういう理由でこの着脱式キートップが設計されたのかを知ることはきわめて興味深いことです。
関連する発表レターにおける記述はいずれも下記の通りです。
Keycaps are removable. Clear keycaps with paper inserts permit customizing of the Enhanced Personal Computer Keyboard. … For ordering information, refer to the Accessories portion of the Charges section.
(キーキャップは取り外し式です。透明なキーキャップと挿入紙を使うと、キー配列をお好みに変更することができます。… ご注文につきましては、付属品と価格表の項をご覧ください。)
そして実際「ENHANCED PERSONAL COMPUTER KEYBOARD ACCESSORIES」の項を見ると、下記のような一覧があります。
PART
NUMBERPURCHASE
PRICEClear Keycaps (60) with paper inserts 6341707 $50.00 Blank Light Keycaps 1351710 25.00 Blank Dark Keycaps 1351728 25.00 Paper Inserts (300) 6341704 30.00 Keycap Removal Tools (6) 1351717 11.00
50ドルというのは現代的感覚からすればぼったくりですが、IBM PCの最終モデルのところでも書いたように、PC自体が現代の感覚の10倍くらいの時代ですからまあ妥当な値段でしょう。透明ばかりでなく、LightとDarkのキャップもあることが上の表からわかります。前者が文字キーに使われる白いキーで、後者がシフトキーなどに使われる灰色のキーなのだと思います。
キー配列の自由な変更のためにはソフトウェア的変更も当然必要ですが、そのようなことは私の読んだ限り言及がありませんでした。ところで、横田和隆氏によれば、この手の透明キーキャップは、日本IBMの5576鍵盤用にも存在したらしいとのことです。5576系鍵盤については、開発製造が日本で行われたこともあり(日本IBM、ブラザー工業、アルプス電気、ミツミなど)、ある程度情報収集も容易なのではないかと思っていたところ、折よく読者のI氏から詳細な情報提供を受けました。それによると、少なくとも5576鍵盤の透明キーキャップに関する限り、大型汎用機の端末のキー割り当てとPC用のキー割り当ての違いを処理するためにこのようなものが必要だったのではとのことです。
鍵盤寸評でも取り上げたとおり、5576-001という鍵盤には3479-JA1という同型機があります。同様に、5576-002は3479-JA2という機種と同型であることが知られています。これらは同型ではあるものの、キーの刻印は微妙に異なり、見かけ上は別物となっています。使う側からすれば、接続先が大型汎用機かPCかという違いだけで、別々の鍵盤を購入するのは無駄にも思えます。5576-001など、発売当時の単体価格は実に3万8000円です。キーキャップを付け替えるだけで済むのならそれに越したことはありません。結局、IBMの非ゴム椀式鍵盤のキーキャップが着脱式になった理由は、大型汎用機の端末としてPC(と鍵盤)を使う場合の刻印の互換性を保つため、というのが主な理由だと推測できます。
この透明キーキャップは主に大型汎用機の使い手の要請に沿った設計変更だったわけですが、もちろんその副産物として、ファンクションキーを自分好みの刻印にするとか、そのような使い方も考えられます。たとえばF1のところに「説明」と書いておくとか、そういう使い方です。そう考えるとなかなか身軽な仕掛けではありませんか。このような楽しいからくりが101鍵盤の発売時に用意されていたとは驚きです。IBMといえば米国では堅物の会社として有名でした。スティーブ・ジョブズあたりはそれが常に気に入らなかったらしく、1981年にIBMがPC業界に参入した時には、「Welcome, IBM. Seriously.(ようこそIBM。いやマジで。)」などという広告をぶつけてきましたし、1984年にはジョージ・オーウェルの小説をもじった過激なCMをリドリー・スコットに撮らせたりしたわけです。しかしさすがのジョブズでもこのアイディアには一本取られたと言うに違いありません。LisaのGUIに比べれば地味そのものですが、Aの隣がCapsLockになった由来といい、キーキャップが着脱式になった由来といい、ジョブズ流とは別の、いかにもIBMらしい角度からの「ユーザーフレンドリー」さの追求を、ここに見て取ることができます。
上に掲げた表の最後の項目にキーキャップ取り外し工具というのが見えます。下記に5576鍵盤用の工具を示します。現在でもネオテックの通販あたりで手に入ります。ShopUにもあります。5576鍵盤もそうですし、1391401系統のIBM101鍵盤でもそうですが、中古鍵盤を品を買ったときには、キーキャップをすべて外して雑巾と石鹸で表面をきれいにするのを私は慣わしとしていました。キーキャップを固定するための突起がどこにあるかわかっていれば、指でつまむだけでキーキャップを簡単に外すことができるのですが、大量にはずす場合にはうれしい工具です。写真を掲げておきましょう。
最後に、I氏に敬意を表して、5576鍵盤用の透明キーキャップの詳細情報を記しておきます。キーキャップの箱には23F3098という型番が書かれており、日本製でした。その中に、半透明のキーキャップと、取り外し工具(上記)と濃淡2種類の台紙(下記)が入っていました。台紙の製品番号は、白いほうが23F3102(一シートで25キー分)、濃い方が23F3269というものでした。101鍵盤のオプションとして付いてきたものには、台紙が一種類しか挙げられていませんでしたから、5576系の透明キーキャップとは多少違いがあるようです。キーキャップの大きさ自体が異なることはよく知られている通りです。
(2002/08/20記、2002/09/07追記)