やや大勢迎合的な基準になるが,「現代のPCのデファクトスタンダードと最も近いものは何か」という観点で見れば,現代的な意味におけるPCの原点は,1981年8月にIBMにより発表されたIBM PC(写真) にあると言ってよい*。当時の売値は,本体が$1,565から約$6300までいくつか種類があり,モニタは$4500であった**。決して安くはないが,大型汎用機(”main frames”)全盛の当時としては,この値段も,商品の企画自体も,そしてよく言われるように,設計仕様を公開したことも,極めて画期的なことであった。old-computers.comの資料によればスペックは以下の通りである。
CPU | Intel 8088/4.77MHz |
RAM | 64kB(初期型は16kB) |
OS | PC-DOS(MS-DOS) |
これもよく言われていることだが,IBMはこのとき同社の慣例を破って徹底的な外部調達戦術をとり,CPUをインテル,OSをマイクロソフトから購入した。IBM PCに搭載されたOSをマイクロソフト社はMS-DOSと呼んだ。言うまでもなく後のWindowsの原型である。IBMは初め別の会社にOSの供給を持ちかけたらしいが,ある種棚ボタの幸運からビル・ゲイツの元に契約が舞い込む。OSについて十分な蓄積がなかったゲイツは,速攻でシアトル・コンピューター・プロダクツという会社からOSを買い取り,短期間にIBMの要求通りのものを完成させた。チャンスをものにしたゲイツも,それを失ったゲアリー・キリドールも,同程度の天才だったと思う。ある人物が自分の才能を生かせるかどうかはおそらく偶然で決まる。しかしその偶然はきっと誰にも平等に訪れるのだ。
* 一般消費者向けPCという概念そのものの源は何かと問われれば,1977年6月発売の名機Apple II を挙げる向きも多かろう。
** “Building IBM: Shaping an Industry and Its Technology”, E..W. Pugh, The MIT Press, 1995.
巨人IBMが一般消費者の前に現れた時期,日本人にとって忘れがたい事件がおきた。1982年6月23日,日立製作所と三菱電機の社員が,産業スパイ容疑でFBIに連行されたのである。FBIは捜査段階でIBMから情報提供を受けていたとされ(例えばG.T.Marx教授の論文を参照),日本のマスコミは特にこの点をとらえて,アメリカの国家ぐるみの反日攻勢だと扇情的に報じた。日立製作所と三菱電機の社員は,大型汎用機のOS解読作戦の過程で囮捜査にかかったと伝えられている。脇英世によれば,当時の日本メーカーのOSはIBMのそれの模倣と言われても仕方がなかったようだ(『MS-DOSとは何か』,講談社ブルーバックス,1986,P.70)。日本のマスコミの極めて同情的な報道と裏腹に,この事件の被告の2社と,後に富士通までもが,IBMに巨額のソフトウェア使用料を支払うことに合意したのは,囮捜査の是非といった問題とは別次元で,やはりそれなりに弱みがあったのだと考えるのが自然だと思われる。
このスパイ事件の裏には,大型機・PC共にIBMの市場が侵食されつつあったこと,また,その過程でIBMがそれまでの「太っ腹」の姿勢を改め,知的所有権に対しそれなりの対応を取るようになったことがある。この時期はまた,カーマーカー事件に典型的なように,ソフトウェア特許・アルゴリズム特許という新しい範疇の特許が米国で続々と提出され話題になっていた。知的所有権においても後のIT革命を胚胎する混沌が生じつつあったのである(たとえば,仙元隆一郎,「知的財産権とコンピュータプログラム」,ACUUMU,vol.3,1991,参照)。今振り返ると,歴史的臨界点とでも言える時期に起こった事件であった。
話が逸れたが,この記念すべきIBM PCに付属した鍵盤に採用されたのが,IBMが基本特許を有する座屈ばね機構(下図)である。鍵盤紹介のところで再び書くつもりであるが,座屈ばね機構は,IBM PCの後継機IBM PC Advanced Technology(いわゆるPC/AT。1984年8月発表=FPCUの年表による)の中期型以降に付属されたいわゆる「enhanced 101」にも引き継がれ,長い間 IBM keyboard といえばenhanced 101の座屈ばね式のことであった。
インターネット上でしばしばIBM鍵盤への賛歌を耳にするが,これはもっぱら座屈ばねの独特のクリック感に負っている。スタパ斎藤氏のエッセイは日本では有名である。あるいは,著名なITジャーナリストJim Louderbackもその一人である。1998年の段階でJimは知らなかったようだが,IBMの座屈ばね式鍵盤は現在でも製造されている。しかしそこにはちょっとした歴史があるのだ。
一時は完全に市場を席巻したIBM PCであったが,1980年代半ばから徐々にPC/AT互換機業者がIBMの市場を奪い始める。代表的業者として1982年設立のCompaq(現HP)と1984年設立のDellを挙げておく。E.W. Pughの前掲書は,IBM PCの仕様公開戦術によって他社との性能上の差別化が難しくなったことと,大型汎用機の伝統もありIBMのサービスのコストが他社より圧倒的に高かったことを挙げている。IBMがメインフレームで7割もの市場占有率を保持していた時代はすでに過去の話であった。IBMは1990年代初頭に解体寸前の危機に陥った。そのあおりでIBMは,1991年3月に,輝かしい伝統と名声を持っていた鍵盤製造部門を,電子印刷機(いわゆるプリンタ)製造部門とあわせて分離してしまう。当時のIBM会長ジョン・エイカーズの分社化計画の一環である。そうして出来たのがLexmark社である。エプソンとキャノンのおかげで日本ではあまり知られていないが,ヒューレッド・パッカード社と並び,現在世界市場で最も知られた印刷機会社である。
IBMから独立してまもなく,1990年代中盤にLexmark社は経営危機に陥る。IBMは「国際事務機」という社名の通り,もともとはパンチ機用鍵盤や電子タイプライターなどを作っていた。そういう名門企業の名門部門を出自として持つがゆえに,1990年代のPCの大衆化・低価格化の波に乗り遅れたものと推測する。実際,1990年代後半以降,PCについてくるのは決まってモソモソした手触りのキーボード。座屈ばね式の後を継いだのは,部品点数と製造工程削減により低価格化を実現できるゴム椀機構(下図)のキーボードであった。
Lexmarkは1996年4月にUnicompという会社に鍵盤部門を売却した。Unicomp社の説明では,“Unicomp employees average more than 20 years experience with those [IBM and Lexmark] multinational companies.”とある。おそらくIBMの開発部隊の多くがそのままUnicompまで流れていったのだろう。こういう紆余曲折を経たものの,IBMの誉れある座屈ばね機構は,1980年代の原型のまま現代に受け継がれている。なお参考ながら,UnicompはIBM銘つきの鍵盤を最近まで販売し続けていたが,2001年8月ごろ、IBM銘入り分については生産・販売を終了したという告知をWebサイトに出した。IBMロゴを持つ座屈ばね式鍵盤の最後を看取ったのはおそらく,型番42H1292である。
その後IBMは,スレーターの著書にあるような調子で,ガースナー会長の下,IT業界の盟主としてかなり劇的な復活を遂げた。しかし過去の座屈ばね式鍵盤を自社のPCに添付することはその後もうなかった。これはもちろん製作費用が安く出来ないということもあるだろうし,独特の残響音と一見硬めのスイッチの感触が,新しい世代のPC使用者に受け入れられないと判断したためかもしれない。しかし確かに一時代を築き,いまだに熱烈な支持者を持つIBM鍵盤の未来が,Unicompという弱小企業の手にのみゆだねられているというのは,率直に言って悲しいことである。
(2001年8月)