Thursday, November 21
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頂点 ThinkPad 600 Series

私にとって最大の不幸は、「使い込んだ」と言える最初のノートPCが、ThinkPad 600だったということである。もともと私の興味の対象はPC本体にはなくて、それを使って行う計算とかインターネットにもっぱら私の注意は向いていた。ThinkPad 600も、単に与えられたから使っただけである。ThinkPad 600 モデル2645-41J の発売価格は実に57万8000円であった(1998年5月の資料による)。この価格も、実は今になって知ったことである。しかし今にして思うと、かつて使っていたThinkPad 600というマシンに対する私の無関心は、実はこの鍵盤の偉大さの証明であった。――人間と機械との媒介者は、その姿が人間に意識されなければされないほど、優れていると言えるのだから。

ThinkPad 600シリーズ用鍵盤(By courtesy of K. Tamagawa.)
ThinkPad 600シリーズ用鍵盤(By courtesy of K. Tamagawa.)

IBMのサイトからThinkPad 600シリーズの製品紹介を見てみると興味深い事実がわかる。1998年11月のThinkPad 600E モデル2645-55Jまでは、製品紹介の筆頭にはキーボードについての記述が来ている。筆頭である。実際のところはThinkPad 600は、その価格に見合ったハイエンド高性能機であったのだが、その多機能を誇るより先にキーボードについての言及が来ている。鍵盤趣味者的観点からするとこれは特筆すべきことだ。初代600の2645-41Jの説明によれば下記の通りである。

“薄さ”はもちろん“使いやすさ”を究めたノートPCを作りたい。そこからスタートしたThinkPad 600は、キーボードもイチから見直して開発を行いました。すなわち、使い心地が良く、より信頼性の高いキーボード実現のために、設計段階から人間工学の専門家をまじえて何回も試作。その結果、キーを押した時・戻る時のタッチの改善やぐらつき感の抑制など、キーの操作感が大幅に向上しました。

これほど力を入れてキーボードに説明をつけている例は同時期のThinkPadには見られない。600のキーボードはIBMにとってよほどの自信作であったのだろう。

Sony VAIO U (写真= https://www.vaio.sony.co.jp/Products/PCG-U3/ )
Sony VAIO U
IBM PC110(写真= https://www-6.ibm.com/jp/pc/thinkpad/pt11064/pt11064a.html )
IBM PC110

ThinkPad 600以前、IBMは、1995年に分割収納式鍵盤を備えたThinkPad 701(バタフライ)、1996年には最近のソニーの宣伝文句で言う「モバイルグリップスタイル」のPC110など(写真参照)、野心的な作品を相次いで世に出していた。これらは製品ラインアップの上ではややキワモノと言えるが、ビジネス用モデルというIBMの本道に限って見ても、鍵盤を跳ね上げて鍵盤を傾斜させるハイエンド機ThinkPad 760(1996年)、TrackPointにスクロールボタンを装備したThinkPad 770(1997年)など、意欲的な改良を行っている。その系譜の上で、満を持して登場したのがこのThinkPad 600だったのである。

実際、ThinkPad 600の鍵盤は素晴らしかった。指で押したくらいではびくともしない基板の剛性。固すぎず柔らか過ぎないキータッチ。適度なキーストローク。打鍵時のその上品な反跳は傑作鍵盤5576-A01を思わせ、まるで文章を書いている自分が、世界から祝福されている存在であるかのように思えたものだ。鍵盤自体の完成度は当然として、それを本体に固定し支持する機構においても、ほとんど文句のつけようがなかった。

非常にしっかりと作られたThinkPad600の鍵盤の基板とリム部
非常にしっかりと作られたThinkPad600の鍵盤の基板とリム部

私の手元あるに600シリーズ用の英語鍵盤を手で持ってみると、最近のキーボードと異なり、全体的に高い剛性感を持っていることがわかる。上の写真の通り、基板は厚く、外周部(リム=limb)の押し出し加工は丁寧かつ深い。これは最近のものとは明らかに異なっている。私の手元にあるThinkPad s30用のキーボードの写真を下に示す。リムの押し出し加工は浅く、その結果として全体的にぐにゃぐにゃ感は否めない。月刊ASCII誌のThinkPad学なる特集の第3回によれば、この外周部の加工は「バスタブ構造」と呼ばれているらしく、これにより簡易的な防水構造を担わせているという。かつてIBMのデスクトップ用鍵盤においても、ある程度しっかりした防水構造が存在していた。デスクトップ用鍵盤がその伝統を放棄してしまったのと同様、ThinkPadにおいても、同様の何かが起こっていることは確かだ。

厚みがなく弱いThinkPad s30の基板とリム部。
厚みがなく弱いThinkPad s30の基板とリム部。

キースイッチはゴム椀式で、シリコンゴムと思われるゴム椀が、現代では標準的な構造となったパンタグラフ構造に囲まれるように配置されている。パンタグラフの加工精度は高く、キーのひっかっかりなどの障害は皆無と言ってよい。ゴムもしなやかであり、2-3年の使用では劣化と言える劣化はほとんど認められない。

ThinkPad 600シリーズ用鍵盤のキースイッチの接写。
ThinkPad 600シリーズ用鍵盤のキースイッチの接写。

鍵盤自体の組み立ては、ラベル(下の写真)に示すとおり、中国で行われたようだ。部品番号は02K4766、FRU番号は02K4785である。この番号はU.S.English版に振られた番号で、日本版は02K4786である。ThinkPad 600の保守マニュアルによれば、キーボードのFRU番号は、アメリカ版(U.S.English)の02K4785から始まり、日本語版が第2位、ついで下の表のようになっている。せっかくだから全部書いておこう。

 

言語名FRU No.
U.S. English02K4785
Japanese02K4786
U.K. English02K4787
Canadian French02K4788
German02K4789
French02K4790
Dutch02K4791
Swedish or Finnish02K4792
Norwegian02K4793
Danish02K4794
Italian02K4795
Spanish02K4796
Swiss02K4797
Portuguese02K4798
Latin American Spanish02K4799
Korean02K4800
Belgian02K4801
Turkish02K4802
Taiwan02K4803
Russian02K4833
Hebrew02K4835
Arabic02K4837
Czech02K4839
Hungary02K4841
Greek02K4843

この表をよく見ると面白い。IBMはアメリカ企業だから、アメリカ英語用キーボードが筆頭で、英国配列やカナダ用キーボードが上位に来るのは当然なのだが、日本語鍵盤は英国英語版を押しのけて序列2位となっている。アメリカ人の普通の感覚では、英独仏くらいが文明語で、残りの欧州語は方言のようなもの、日本語や韓国語は東洋の呪文も同然だろうから、この番号の振り方は異例に思える。FRU番号の振り方が言語の重要度を直接示すものではないのはもちろんなのだが、常識的感覚からは不自然だろう、というような意味である。これは日本でThinkPad 600の開発が行われた名残だと見るのが自然だ。実際のところ、アメリカで開発が行われたThinkPad 701では、FRU番号の振り方はこれとは全然異なり、日本語版は、U.S.Englishから数えて実に20番目の番号が与えられている。上の表の配列には、日本人技術者の意地のようなものも垣間見えて興味深い。

600用鍵盤のラベル
600用鍵盤のラベル

この鍵盤は1998年9月発表のThinkPad 560Zにも採用された。保守マニュアルによれば、ThinkPad 560、560E、560Xのキーボードは、日本語版がFRU番号79F6401、英語版がFRU番号95F5741となっているが、560Zのみ600シリーズと同様の番号となっている。この変更に対応して、560Zの製品紹介は、600シリーズ同様、大々的に鍵盤の素晴らしさを主張するものになっている。

このThinkPad 600シリーズの鍵盤を除いて、真に偉大と言える鍵盤を持つノートPCを私は知らない。ThinkPad 600発売当時の宣伝文句から考えても、IBMの技術者たち――日本の大和事業所の技術者たち――は、この鍵盤が歴史に名を残す傑作となることを確信していたことだろう。ThinkPad 600において、ThinkPadはビジネス向けの高級ノートPCとしての名声を完成させた。たとえば会計事務所というような職場において、ThinkPadは既定の選択肢となった。700シリーズの名声を引継ぎ、そしてより高めたという点で、ThinkPad 600シリーズは、IBMにとって最も成功したThinkPadであると言ってよいだろう。

600用鍵盤の裏面写真
600用鍵盤の裏面写真

ThinkPadがそのままThinkPadであり続ければ何も問題はなかったのだ。しかし変化は確実に進行していた。1999年4月に発表されたThinkPad 600E(2645-5AJおよび3JJ)以降、600シリーズの製品紹介からキーボードについての言及が消える。PCはますます大衆化し、水面下の上質よりも、表面に現れるスペックが要求される風潮がますます強まったのは確かだろう。ThinkPad600シリーズは、噂された後継機600Zをついに見ないまま、2000年2月に発表された600Xを最後に、ひっそりと幕を閉じた。

私が無関心を続けながらThinkPad 600を使っていた時代、私は何も考えずその上質を謳歌していた。それが私の不幸であった。スペック的に前世紀の遺物となったThinkPad 600を、他の機種に置き換える段になって、私は変化を悟った。600シリーズと似ても似つかぬ、明らかに軟弱な基板と、乱反射するかの如き醜い反跳。IBM製か否かを問わず、ハイエンドと称される機種に何十万円上積みしても、もはやあの紳士的な鍵盤には出会えないのだ。私はそこで初めて、5576系鍵盤と同様の悲劇がそこに存在していたことに気づいた。今やノートPCの意味は変わったのだ。打鍵感にある種の芸術を感じられた悠長な時代は終わり、安価で、そこそこの、まあ使えなくもない鍵盤を持つノートPCが、時代の覇権を握ったのだ。

その美しい打鍵感においてノートPC鍵盤史上において偉大な足跡を記したThinkPad 600シリーズは、旧世代のノートPCの頂点を示すものとして記憶されるべきである。