Monday, December 30
Shadow

異形 ThinkPad T30

珈琲の話から始めよう。

私が学生時代の数年間をすごした仙台では、おいしい珈琲を入れる喫茶店が街に何軒もあった。生まれ育った田舎と比べて、文化の余裕を感じたものである。その後私は東京に引っ越すことになり、内心、大都会東京にはさぞかしレベルの高い珈琲がいたるところで飲めるのだろうと楽しみにしていた。しかし現実は違った。街中にあるのは、ドトールのような安い擬似コーヒーを入れる店か、あるいはラーメン一杯分の値段でうまくもないコーヒーを売りつける大手の喫茶店。こだわりの喫茶店という範疇の店は、都心から離れた郊外に、ポツリポツリとある程度だった。わざわざ電車に乗って喫茶店に行く気にはなれなかった。

ThinkPad T30。スペック的には実務機としては最高である。
ThinkPad T30。スペック的には実務機としては最高である。

大衆化は多様化を意味しない、という奇妙な事実を学んだのはその時である。市場が大衆化すると、最下位層と最上位層が駆逐され、陳腐平凡な業者が市場を圧する。それでも自動車業界のように、市場自体が巨大になれば少数派の趣味者層にもニッチとしての存在場所が与え

ThinkPad T30の異形の風貌。
ThinkPad T30の異形の風貌。

られるが、趣味者たちにとって許しがたく退屈なのは、市場が成長しきる前の時期である。

ThinkPad T30は、長らくThinkPadの象徴であったトラックポイントを、意匠上の中心から引きずりおろした歴史的なマシンである。ThinkPadを見慣れた目には、ウルトラナビと称する矢印操作装置(pointing device)の風貌は極めて奇怪に映った。これは進歩なのだろうか?私は肯定的には答えられなかった。トラックポイントとタッチパッドを併載するノートは既にDELLのinspironなどがある。ウルトラナビには、ソフトウェア的にそれなりの工夫の跡が見られるが、所詮二番煎じであるとの印象はぬぐえない。それよりも私としてはやはり、意匠についての物語に雑音が乗ったという印象がぬぐえなった。

T30の実用機としての性能にはここでは言及しない。ビジネス用ハイエンド機としては、発売時において最高の部類に入っていただろう。確実に高性能機である。その上、トラックポイントとタッチパッドの併載を「高機能」と評するならば、単純な足し算により、名機と呼ばれてよさそうである。

強く押すと基板がたわむ...。ThinkPad 600ではありえない現象だ。
強く押すと基板がたわむ…。ThinkPad 600ではありえない現象だ。

しかし率直言って私は、このマシンに冷淡である。メモリスロットの不具合など、つまらない問題も関係があることはある。しかし何よりも、T30のキーボードは、あまりに凡庸なのだ。打鍵感は不快ですらある。未知のThinkPadに触れるたび、私はあのThinkPad 600の感触をひそかに願う。ビジネス用ハイエンドという、600と同一範疇に属する本機であればなおさらである。しかし本機ほど、期待を裏切られた思いを持ったことはない。5576-A01の筋肉質な打鍵感を礼賛したあと、粗悪品5576-B01について論評するのと同じような切なさを覚えた。

キーボード全体の剛性が足りない。キーボード基板の支持機構においても工夫がない。上の写真に示したとおり、強く押すと基板がたわむのを感じる。右手のOのあたりの下にはCD-ROMドライブが入っていて、それをはずして覗き込むと、板がたわんでいるのが見える。

全体的に打鍵時の残響音が軽く、かさついている。手のひら支え(palm rest)の材質が600とは異なりプラスチックで、残響音を汚している。しかしキータッチは600とあまり変わらず重いままだ。筐体の剛性を大幅に減らしたのにもかかわらず、ばねの荷重をほぼそのままにしておくのは、正しい選択とは思えない。下の写真に示すとおり、パンタグラフ機構にはハイエンド機の片鱗が見られるだけに残念である。

ThinkPad T30のスイッチ機構。キーのぐらつきを防ぐような粋なつくりになっている。
ThinkPad T30のスイッチ機構。キーのぐらつきを防ぐような粋なつくりになっている。

手のひら支え部の材質変更も、キーボード基盤の軽薄化も、全体を軽く作るためには不可欠だったのかも知れない。それで満足度が上がる項目もいくつかあろう。しかしそのためにキーボードの打鍵感を汚して何になろう?もっと薄くて、安いノートはたくさんあるのだ。なぜThinkPad?という問いに対する答えを、自ら行方不明にしているようでは話にならない。トラックポイントとタッチパッドの併載により、意匠の核を失ったかのように見えるT30にこそ、数千円のコストアップを恐れずに、最高の鍵盤を搭載するべきであった。

異形のマシンに悲しく浮かぶ栄光のロゴ。
異形のマシンに悲しく浮かぶ栄光のロゴ。

再び私は、PCにまつわる自分の幻想を思い知らされることとなった。IBM鍵盤にまつわる神話は、ここにおいて完全に終焉を見た、と私は思った。今や伝説となっているあのIBM PC鍵盤。しかしよく考えれば、あの”The PC”は、市場の大衆化を見越して、廉価版のコンピュータとして世に出されたのである。異様に豪華で豪快な鍵盤を付したこと自体が、むしろ「見事な冗長さ」とでも言うべきであった。本当は、1981年に「ドン」エストリッジの部隊がPC業界にデビューした時点で、結末はわかっていたことなのかもしれない。

それでも私は願う。PC市場が、自動車市場のような新しい相に入って欲しいと。かつては金持ちの乗り物であった馬車に代わり、T型フォードが量産されたのが第2次大戦前である。自動車産業の大衆化の過程で、貴族的な優美さが次々に失われていったことだろう。しかし今や自動車文化は成熟し、大衆車から高級車まで、望むものを手に入れることができる。「国際事務機株式会社」としてのIBMが、大衆向けにカローラ級の鍵盤を作り続けるのはかまわない。しかし忘れないで欲しいのだ。かつて自分たちが、The PCという堂々たる名前で、最高の鍵盤を世に出していたことを。


その後何年かして仙台を再訪する機会があった。あわただしい日程の中、駅に近い「とーもん」という店を訪れた。かつてはフレンチローストの濃厚な味を特徴としていたこだわりの店である。確か店員はアルバイトも含めて男性しかいなかった。そういう媚びない姿勢がとても良かった。

まるで何かのカリカチュアのように、珈琲は変わっていた。粉っぽくてまずい擬似珈琲。結末を私に見せるために、わざわざ何年も待ってくれていたかのような錯覚に私は陥った。愚民化が押し寄せる前の幸せな時代の記憶は、今では、このようなページに残されるのみである。(2003年初頭記す)


2003年6月28日付記。本機の後継機、ThinkPad T40が2003年3月に発売された。ノートPCのメルセデスベンツ、という評がある。まさに言いえて妙である。伝え聞くところでは、鍵盤はThinkPad 600を髣髴とさせる出来という。肯定的にレビューを書ける時が来ることを祈る。